teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


光成のイメージについて

 投稿者:igozaruメール  投稿日:2006年12月17日(日)05時46分29秒
返信・引用 編集済
  石田光成ですか、、
 ちょっとばかり小細工が過ぎる男、目先が良く見えるので、先読みが上手い、戦向きではない官僚向きの男、淀の方の影の男、、、
 このような感じを私は受けますがどうでしょうか、、
 トモさんならこんな人が仲間だったらお付き合いしますか?
 でも、頭脳は明晰だったと思います、秀吉に見出されて出世してきましたが、これは人の巡りあいで運命です。いまの企業なら経理部長か総務部長クラスの仕事をやらせたら抜群の能力を発揮する男であろうと思います
やはり時のリーダーたる素養は不出来だった様におもいます、保身に走りすぎた面が強いのです。朝鮮出兵に直接参加しなかった事から、関係者の糸がもつれるわけですから、判りやすくいえば「汗をながしていない」人にはやはり人望は集まらないのではないでしょうか?
くだくだ申し上げましたが、先頭に立って引っ張らなければ人はついてこないと言う事でしょう(^^♪

http://purple.ap.teacup.com/igozaru/

 
 

じつは

 投稿者:ルル  投稿日:2006年12月 4日(月)20時24分3秒
返信・引用
  実は私、平清盛のいちよう子孫っぽいものです・・。ってまあホントにっぽいものですけど・・・。  

自然薯堀とは

 投稿者:igozaruメール  投稿日:2006年12月 2日(土)14時01分17秒
返信・引用 編集済
  羨ましい次第です、、そんな場所がある山口県なんですね、、山梨にもあるのでしょうがよくわかりません、、私はもっぱら食することに専念です、、太る原因はこんなところにあったのでしょうか?(^_-)-☆

http://plaza.rakuten.co.jp/igozaru/

 

今日自然薯掘りに行きます

 投稿者:hiraki251  投稿日:2006年12月 1日(金)07時26分16秒
返信・引用
  我が家の自然薯の定番料理は
とろろ汁、摩り下ろしたものを鍋に、
皮をむいた自然薯と梅肉を連木で叩き潰す、
メリケン粉の代わりにお好み焼きに混ぜるくらいです。
もっと美味しい食べ方は無いかな~と思っています。
 

ご無沙汰です

 投稿者:omosiroya  投稿日:2006年11月24日(金)19時05分48秒
返信・引用
  東京の板は例の人に占領されて寂しくなりましたねえ

時々諌める人もいるけど本人は馬耳東風・・・ 誰か鈴を付けてくれる人がいないかなあ(笑)

山の神は退院以来、一進一退 夕刻になると微熱が出るのが問題らしい
神に祈る気持ちです。
 

リンクしました

 投稿者:うっち~  投稿日:2006年 8月20日(日)22時37分6秒
返信・引用
  先日は当サイトへのご来場ありがとうございました。
また丁寧な報告ありがとうございました。

歴史上の”影”の部分、なかなか興味深いものがあります。
これからもよろしくお願いいたします。

http://kosyu-dialect.hp.infoseek.co.jp/index.html

 

清盛の源頼政への思いやり

 投稿者:igozaruメール  投稿日:2005年 8月30日(火)16時28分46秒
返信・引用
  清盛と頼政がどれほど仲が良かったのかは分かりませんが、清盛が頼政に好意を抱いていたのは、この人事を見ても明らかでしょう。清盛は頼政を三位に推挙する際、「多くの源氏が逆賊に与し殺されていくなかで、一人頼政だけは正直で勇名がとどろいている」と頼政の人柄を褒めるとともに、当時病にふせっていた頼政を気遣い、「せめて生きているうちに三位をお授けください」と奏請したといいます。平家嫌いで有名な九条兼実も、前出の『玉葉』の記事の中では清盛を褒めています。
 頼政は武に長じるとともに和歌など風雅の道をも良くしました。対して清盛は和歌や管弦などはからっきしで、そういったつながりは、直接的にはなかっただろうと思います。ただ、平家一門は風雅の才に長けた人たちが数多くいて、清盛に限らず頼政と平家との文化面での交流は、ままあっただろうと推測されます。現に清盛の弟経盛が主催する歌合に招かれたりしていたようです。ただ清盛にとっては、ともに保元・平治の乱をくぐり抜けた仲間であり、清盛自身功成り名を遂げた今となっては、この老武者にも出世してほしかったという単純な理由があったのではないでしょうか。

http://plaza.rakuten.co.jp/igozaru/

 

高田屋嘉兵衛について

 投稿者:igozaruメール  投稿日:2005年 8月28日(日)16時27分4秒
返信・引用
  幕末の人物の中でも研究したい人物に入ります.対ロシアとの貿易を通して北の守りの必要性を幕府に説いた人物で、一触即発の関係を紐解いたいた人物です。
人は会って見れば皆素晴らしさを持ち、信ずるにたると考えた愉快な人物でもありますね。

http://plaza.rakuten.co.jp/igozaru/

 

イゴさん

 投稿者:omosiroya  投稿日:2005年 8月28日(日)09時57分56秒
返信・引用
  先日テレビでやってたけど高田屋嘉兵衛なる人物について掘り下げて見ると面白いかも?

ロシアとの衝突を回避した商人で後の松蔭の思想にも影響を与えたかもとのことです。
 

清盛の理性と配慮

 投稿者:igozaruメール  投稿日:2005年 8月16日(火)06時21分19秒
返信・引用
  平治の乱はあくまでも浅慮な藤原信頼が、これまた浅慮で政治性のない義朝と共謀して起こした正真正銘の謀反だったわけですから、清盛としては朝廷と我が一族を守るために、これと対決せざるを得なかっただけなのです。このときの清盛には、政治的にはともかく、武力による野心などはおそらくなかったでしょうし、私の野望だけで反乱を起こした信頼・義朝は誅せられてしかるべきであったといえるのです。清盛は売られた喧嘩を買っただけなのです。
 頼朝・義経を助命するということは、清盛にとっては、武士の立場からも、政治家としての立場からも、何ら益するところのないということは、清盛自身承知していたはずです。それをあえてしたということは、これは純粋に清盛の優しさ、慈悲心であったといっても良いのではないでしょうか。
 また、乱を鎮圧した今となっては、源氏に対してこれ以上追い打ちをかける必要もないと思ったのかも知れません。首謀者である義朝はすでに誅され、乱には一応の決着がつきました。それに加えて嫡子である頼朝を殺すということになれば、そこから先は朝廷とは何ら関係のない源氏と平家の相克という私的な領域になってしまいます。平家の使命はあくまで朝廷の守護である、という自覚が清盛にはあったのでしょう。だから、この乱を利用してライバルである源氏を根絶やしにしようとは思わなかった。“人情のひと”清盛は忠義な功臣でもあったのです。
 

レンタル掲示板
/2